8月19日、大井松田の全日本選手権第6戦でSクラス2年連続チャンピオンを決めた菅家は、9月3日の横田基地レースに参加、9日後の12日には、大韓航空001便(午後5時20分発)で、成田を発っていた。9月11日に予定されていた全日本選手権第7戦が10月に延期になったため、幾分気が楽になったものの、出発前にレースが重なったため、この世界選手権のための準備に大わらわであった。秋山(現アルデックス代表)中島(現ちぃーたぁ代表)両メカニックは、前日の深夜まで、作業に追われていた。
フレームは、使いなれた自社製フレーム・スガヤスタッグ79F。当初、現地で、ビレルフレームを購入するつもりでいたが、セッティングに時間がかかり過ぎるということと、フロントブレーキが、世界戦でどこまで通用するかを試す意味もあって、日本から持ち込むことにした。エンジンは、6機。今年2月に購入したゾーゼルチューンのパリラTT23 4機、BMK78 1機、そして、チーターチューンのヤマハKT100Aである。
荷物はすべて手荷物。オーバーウェイト代(約1人分の航空運賃)を払っても、この方が安あがりで安全で、なおかつ確実という判断からだ。フレームもパイプを取りはずし、小さくまとめる。タイヤから、スペアパーツそして工具まで、きっちりと梱包し、飛行機に積み込む。しかし、エンジンだけは、安全を考え、自分の手で機内に持ちこむことにした。総勢5人(菅家、秋山、中島、それに手伝いの小池夫妻)でエンジン1機ずつ、最後の1機は、記者が持つ。エンジンがこれほど重いものだとは・・・。しかし、こんなことができるのも、カートならではである。
菅家が今年の世界選手権出場を決めたのは、去年(78年)暮れである。’77、’78と続けて行なわれた“ジャパンカート”でT.ゾーセル、T.フラートンらの走りにじかに接し、世界のトップドライバーの実力を思い知らされた菅家は、何としても、世界のトップが集結する世界選手権に出場し、肌でその雰囲気を感じたいと強く望んだ。「どうせいいところなんかいけるはずない。とにかく行って頑張ってみよう!」と決心したわけだ。こんな、体制的にも弱い状況で臨んだのも、とにかく「行ってみたい」という菅家の強い気持ちがあったからである。それが、こんな好結果を生むとは、当の菅家も夢にも思わなかった・・・。
菅家一行は9月13日に、フランス・オルリー空港へ到着、やはり、大きなカート機材は航空税関史の目を引き、「これは何だ!」と検閲が始まろうとした。こんなところで梱包を解かれてはたまらない、「私はレーサーのSUGAYAだ。これからレースをしに行くところだ。これはレース用の部品だ」と堂々と答えたところ、税関史は「そうか、レーサーか」と言って、快く通してくれた。菅家も内心ビックリ。フランスはレース好きだと聞いてきたがこれほどとは・・・。しかし、オルリーの税関史もかなりいいかげんな感じではあるが・・・。菅家は2日間パリでのんびりした。
パリとポルトガル・リスボン間は飛行機で約2時間、オルリー空港を2時10分に出発。リスボンインターナショナル空港に着いた。赤い屋根が立ち並ぶリスボンは、神秘的で、貧しそうで、実にエキゾチックだ。そして、“遠い”という実感が沸く。菅家は、カート機材がこの空港で足止めを食ってしまうとは露知らずに、気持ちはすでにサーキットへ飛んでいた。日本の観光案内書によると、「ポルトガルという国は、実に友好的で、空港でも荷物はほとんどフリーパス・・・」というふれこみだったが、とんでもない。人々は友好的ではあるが、税関での検閲は実に厳しい。菅家のカート機材はここでも真っ先に税関史の目をひき、厳しい追求が始まった。しかし、ここでは、オルリー空港のようにはいかず、押し問答の末、とうとう、「レースオーガナイザーの確認書とサインをもらってくれば渡す」ということになった。しかし、すでに時間はオフィシャルルームが閉まっている時間、仕方なく菅家一行は、リスボン市内で、とりあえず一泊することにする。まずは心細いポルトガル第1日目となった。
リスボン市内でレンタカーを借り、宿泊予定の「ホテル・シントラエストリル」へ向かう。リスボンから約40分、ポルトガル一の海浜リゾート地エストリル市へ入り、そこから内陸部のシントラ市に向かって約10分。ホテルは、今回の闘いの場であるエストリルサーキット「オートドモーロ・ド・エストリル」の近く、歩いて2分のところにあった。ちょうど日本の鈴鹿や菅生サーキットホテルという感じで、今回はカート関係者でいっぱいである。
当初、菅家はエストリル市の高級ホテルに予約を入れていたが、レース関係者がこの「シントラエストリル」に多く泊まると聞いて急拠変更。これは非常に得策であった。オーガナイザーとの連絡もとりやすく、他チームとの情報交換ができるからだ。とりあえず荷物を降ろし落ち着く。ホテルにいてまで、練習をしているのだろう、あの2サイクルサウンズが聞こえてくる。逸る心を抑えながら、サーキットの下見に出かける。サーキットの門をくぐって最初に菅家が発した言葉は、「それほど大きくないね」だった。確かにかなりのスピードコース設定になっているものの、それほどの大きさは感じられない。F2も行なわれる本コースのホームストレッチを使い、カートコースはインフィールドに曲げられている。むしろ、コース一望を見渡せる菅生の方が広さを感じさせる。
去年の香港で一緒に走ったミッキー・アレンが練習している。菅家はじっくりそのコース取りを研究、昨日カートが税関をすんなり出ていれば今日は慣らしぐらいはできたのにと残念がることしきりだ。まず、オフィシャルルームに行って荷物ストップの事情を話す。しかし、まだ、サーキットの事務局員だけで、主催者である「ポルトガル・オートモービル・クラブ」のオフィシャルが来ていず、明日、リスボンの事務所に行って話しをしてみてくれとのこと。すんなりとサインをもらえると思った菅家は、事がうまく運ばないことに次第にイラ立ちを感じてくる。