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ゼッケン90番、
最終ゼッケンの菅家の車検は一番最後

































































ウェイティンググリットでスタートを待つ






9月18日(火曜日)

 菅家は一番にサーキット入りした。「やっとサーキットを走れるんだ」。菅家には随分長かったという感じがする。ピットは、地元ポルトガルのホープ、L.F.シルバと同じだ。彼らは非常に友好的で、何かと話しかけてきて、愛敬をふりまく。T.フラートン、S.D.シルバ(故アイルトン・セナ)、M.ウイルソン、M.アラン、など、有力選手が続々とコースイン。まずは落ち着いて彼らの走りを見ることにする。
 さすが世界のトップドライバーだ。コースが非常にハイスピード設定(時速約79km/h。菅生は約72km/h)ということもあり、その走りに菅家は圧倒され気味、タイムは51秒中ごろだ。幾分緊張気味で菅家がコースイン・・・・。路面は非常に滑る。荒いコンクリートで、表面に浮き出た石がケズレて丸くなっているからだ。コースを読みながらゆっくり周回、そして徐々にスピードを上げて行く。素晴らしいスピードだ。日本のコースでは絶対味わえないスピード感だ。むしろ筑波での125ccミッション付きカートの感触である。そして、タイムアタック。何度か52秒を切るタイムをマーク。ベストは51秒6だ。エンジンの調子もよい。菅家は「これならなんとか行けるかな」という感触を持つ。しかし、残念ながら、本当に信頼の持てるエンジンは、ゾーゼルチューンのパリラTT22 1機だけという結果も出てしまった。「20日のタイムトライアルはこれで行くしかない」と決めた菅家は、エンジンをいたわる意味もあって、30周くらいしたところで走行を打ち切る。
 とにかく第一の目標は20日のタイムトライアルで30位以内に入ることだ。30位以内にはいると言うことはシード選手になることを意味し、決勝日(23日)の予選ヒートに無条件で残ることができるからである。さもないと、それまでに3ヒート、悪くすれば4ヒートをこなさなければならない。数少ないエンジン数では、とにかくヒート数が少ない方が助かる。ポルトガルの気候はカラッとしていて、日があたると暑いが日陰は寒いくらいで完全な内陸型、山の天気のようである。日が沈むと急に冷えこんでくる。菅家はジャンパーのエリを立て、「とにかくコースを走ることができた」という安心感を抱いていた・・・。

9月19日(水)

 今日は午後から車検だ。菅家は午前中いっぱい走りこんだ。いつも陽気な通訳のダニエルも到着し、ジャパンのピットは急に活気を帯びてきた。これで、他のチームとの意志の疎通も出きるようになった。イアメワークスを除いた、他のチームの最大の関心事はタイヤで、特にダップ陣営はタイヤの不足に悩んでいた。ここでもブリヂストン(BS)ユーザーが圧倒的に多く、BS側でもこのレースに非常に力を入れており、日本からもサービスマンが3人サーキット入りしていた。ダップ勢の中でも若手No.1のS.D.シルバ(故アイルトン・セナ)が、BSの開発ドライバーである菅家とコンタクトをとりたがっており、ダニエルを通じてタイヤのレンタルを申し込んできた。菅家の持ちこんだタイヤは7セットと、それほど多くはない。明日のタイムトライアルで30番以内に入れば、それほどタイヤの心配はいらないのだが・・・。それでもシルバの熱心な申しこみに、ダップワークスエンジンレンタルという条件で、タイヤ1セットを借すことにする。しかし、結果的にはこのエンジンを使う必要はなかったのだが・・・。
 午後1時30分から車検が始まった。ここでもポルトガル的ルーズさが発揮され、のろのろとした進行となった。ゼッケン90番、最終ゼッケンである菅家の車検が終了したのは、何と夜9時30分である。日本のトップドライバーである菅家が最終ゼッケン、そして、ピットにはジャパンという文字すら貼られていない(他の国は総て貼られていた)。日本もずいぶんなめられたものだ。菅家は腹立たしさを憶えるとともに、強烈なナショナリズムが湧いてきた。「今に見ていろ!」この負けじ魂が、菅家の大きな活力となって、明日以降のレースへつながっていくのである。とにかく明日はやるだけだ・・・。


9月20日(木曜日)

 今日のタイムトライアルで30番以内に入ることを第一の目標にしていた菅家は、やはり緊張していた。過去日本選手が何度かトライしたが破れなかった壁である。フリープラクティスで、ある程度勝算を胸に秘めていた菅家だったが、やはり昨日は緊張のためよく眠れなかった。この難関さえ突破すればあとは何とか・・・。緊張は菅家だけではない。秋山、中島両メカニックも、ダニエルも、日本陣営誰もがピリピリしていた。スタートは5グループに分かれた4グループ目、比較的遅いスタートだ。菅家は他選手の走りをじっくり観察する。そして次第にスタート時間がせまり、メカニックがカートをピットから出す。菅家はストップウォッチを片手にしたまま動かず、まだ走りを見ている。緊張していたのである。すぐにでもカートのところへ行って準備したい気持ちにかられる。しかしここで焦っては負けだ。もう少し、動き出すのを待とう。日本のレースでは、最近味わったことのない緊張感だ。
 やっと菅家は位置についた・・・・・・。もちろん菅家はスペシャルコンパウンドのクォリファイ用タイヤを装着している。「練習の時よりはタイムが縮まるのは確実だ。ミスとトラブルさえなければ大丈夫だ」菅家は自分に言いきかせてシートに座った。秋山、中島両メカニックが押す。さあスタートだ!
 1周を菅家は練習でのおさらいをするつもりで走る。そして最終コーナーから全開でストレートへ・・・。グリーンフラッグが降られ、思い切って第1コーナーへ飛び込む。あとはいつもの菅家らしい走りを見せ、無駄のない確実な走法で2周を一気に走り切った。秋山メカの時計は51秒を切っている。やった!51秒を切っている選手はそう何人もいないはずだ。ピットは大喜び。公式記録は50秒99で13番目のタイムだ。過去の日本人挑戦者の中ではもちろんトップの成績、この時点で菅家は世界で13番目に速いドライバーとなったわけだ。菅家はポルトガルに来て初めていつもの笑顔を見せた。
 菅家が13番目のタイムを出したことにより、ピット内は急に人の出入りが多くなった。改めてスガヤスタッグを見て、フロントブレーキに興味を示したり、タイヤのことを聞きにきたり・・・、メカニックやジャーナリストが出入りする。ピットが活気を帯びるとともに菅家は、自信に満ちた、いつもの菅家に戻っていった。そして大いに欲が出てきた。「この調子ならいいところへ行けるかもしれない」と。そしてより良い条件作りへ向けて活動を開始することになる。
 まず、キャブレターだ。このキャブについては、トップドライバーの80%がつけているスイスのメーカーのスライドキャブ。青、赤、ゴールドと色がぬり分けられており、実に鮮やかで、すぐ目につく。菅家は真先にこのキャブに注目した。まず単純に「みんながつけているのだからきっと良い物に違いない」と考え、これをどこからか購入したいと考える。ダニエルを通じ注目の女性ドライバー・キャシー・ミュラーを擁するフランスチームと交渉する。フランスチームも、日本には多くの関心を寄せており、この交渉に熱心に応じ、購入が決定する。ちなみにキャシーのタイムは50秒75、菅家より3つ上、10番手のタイムだ。
 次はエンジンだやはり他のワークスエンジンとそれほど遜色なく走れるエンジンはゾーゼルチューンのパリラ1機だけ。S.D.シルバから借りたダップエンジン(実は今回の優勝者ピーター・コーネのスペアエンジン)は、ダップエンジンに菅家があまり慣れていないということもあって、どうも調子が出ない。このパリラ1機ではとてもあとのヒートを闘えそうにないそこでイアメ社との交渉が始まる。幸いに、ベアレーシングの社員で、イタリアイアメ社へ出向中の佐々木氏の援助もあり、ワークスエンジン(ブラジルのカルバロへまわす予定のエンジン)を借りることに成功。これも菅家がパリラエンジンで13番手という上位のポジションを得たからで、社長のグラナが注目したからである。
 当初グラナは、菅家など眼中になく、むしろ、最大のライバルになるであろう日本のヤマハエンジンを持ち込んだ菅家に、冷たい目を向けていたというのが実情であった。しかし、自社エンジンで頑張る菅家を、やはり放って置けなくなったに違いない。この時グラナは、1日置いた22日のタイムトライアルでこの菅家がトップのタイムを出すなどと想像もしなかったであろう・・・・・・。この日を境に菅家のレース運は急速にいい方へ向かって行った。とにかく第一の目標は突破した。この夜、菅家陣営は、ワインで乾杯した。

S.D.シルバ(故アイルトン・セナ)




































































































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