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菅家、フォースマン






























































































デ・ブリンを押さえカウンターを当て第一コーナーへ



































































5位受賞の表彰を受ける菅家

9月23日(日曜日)

 いよいよ決勝レース当日だ! 空は抜けるような青。風もおさまった。絶好のレース日和だ。
昨日の強風は一体どこへ行ってしまったのだろう。中島メカではないが、ほんとうにあれは“神風”だったのか……。
まず64人による予選ヒート6ヒート(a,b,c,dグループの総当り制で、各々3ヒートを消化する)
を行い、この予選ヒートによって30人が選ばれる。また31位以下の選手によってセカンドチャンスレースが行なわれ、4名が残り、34名によって決勝ヒート3ヒートが行なわれる。昨日のタイムトライアルでトップとなった菅家は、予選のすべてのヒートをポールポジションからスタートすることができるのである。これほど有利な条件はない。14周レース、1周に1人ずつ抜かれたって14位になれる。ただ心配なのはエンジンが壊れはしないかということだけである。現に昨日のタイムトライアルで、焼きつきを起こしているのである。「壊れさえしなければいい所へ行く自身はあるのだが」…と菅家は祈るような気持ちであった。予選の3ヒートは、イアメからかりたエンジンを使うことにする。イアメ側では6ヒートは大丈夫という折紙をつけてくれているものの、やはり不安は残る。しかし、ここまで来たら、もう一生懸命やるだけだ。予選1ヒート目、
菅家は、ポールポジションの位置についた。度胸を決めれば菅家は強い。逆に、スタートを待つ菅家以上に緊張していたのがメカニックたちだ。ふだんポーカーフェイスの秋山メカ、豪快な笑いを見せる中島メカ、2人の顔は緊張にふるえた。いくらポールをとったとは言っても、後には、フラートン、ウイルソン、コーネ、デ・ブリン、フォースマンと、かつて“雲の上”であった選手が居並ぶのである。緊張しない方がおかしい。さあローリング開始だ!2人はその緊張を打ち消すかのように、菅家の後を思い切って押した。そしてポルトガル国旗が高々と振り上げられスタート!

 菅家がこれほど必死で走っているのを見るのは久し振りだ。最近の日本国内のレースでは、一生懸命走っているには違いないが、どこか余裕が見える。ここでは余裕などあるはずはない。ちょっとスキを見せればすぐインに入りこんでくるのだから。チョーク時が一番狙われやすい。さすがに世界のトップドライバーたちだ。1ヒート目、菅家はピットサインを見る余裕すらなかったのである。日本での菅家のレース運びを知るものにとって信じられない光景であろう。スタートで何台かにパスされたが、菅家にとって精一杯の走りで、4番手の位置を堅持していた。その後トップのフラートンがつぶれて3番手に、1ヒート目は、この位置でフィニッシュ。フロントブレーキの効力は第1コーナで威力を発揮した。全開のストレートからのブレーキングがずっと遅くてすむのである。コーナーの続くインフィールドでは、やはり、除々に引き離される菅家であるが、この第1コーナーで一気に差を詰めることができる。フロントブレーキの功罪がいろいろ取りざたされているが、菅家にとっては、日本国内と同様、ここでも非常に有効な武器であった。2ヒート目、S.D.シルバの速さが目立ったレースであったが、菅家はここでも、必死にトップグループに食らいついていた。タイムは51秒を切っている。いつも菅家は、タイムトライアルよりもレース中の方がタイムは良いのだが、ここでもそれは言えた。ということは、トップの他の選手はもっと速いタイムで走っているということになる。昨日のタイムトライアル1位を思うと今さらながら、菅家の強運さに感心せざるを得ない思いだ。今までの菅家のレース人生もきっとそうであたに違いない。2ヒート目は5位でフィニッシュした。続く第3ヒート目、菅家も幾分レースに慣れてきたのだろう、ポールから一気に第1コーナーを奪った。前2ヒートが2つとも第1コーナーを奪えなかったため、ここで菅家は意地を見せたのである。菅家はトップを走る姿を3周まで見せた。4周目、ペトリエンジンを使うドイツのP.グーデルにパスされたが、しっかりと2位を堅持。10周までこれは続いた。しかし、菅家は、かつて日本のレースでは経験したことがない“腕があがる”という状態になったのだ。モトクロスのセニアドライバーとしてならした菅家だ、スタミナには相当な自身を持っていたはずだが…。しかし、この息もつかせぬ競り合いにはやはりバテてきたのであろう。後半、デ・ブリンとフォースマンに一気にパスされ、4位に落ちてしまった。しかし、それでも、総合ポイント12で、なんと予選ヒート総合3位となったのである。日本人ドライバー、菅家はよく頑張った!エンジンも不安なく、よく3ヒートを闘ってくれた。これでやっと決勝ヒートに残ることができた。菅家は思わぬ好結果に喜びを表わしながらも、午後の決勝ヒートをいかに闘うかを考えていた。「ここまできたら決勝でもいいところに行きたい」そうだ、菅家は大いに欲張るべきだ。チャンスはめったにない。まして年に一度の世界選手権だ。ガッチリ体制を整えてきたとこで、こんな成績が残せるわけじゃない。ここでもっともっと貪欲になれ!


決勝ヒートのスタート
 

 そして決勝ヒート。
 1ヒート目は予選順位によってスターティングポジションが決められる。菅家は2列目イン側のポジションだ。菅家の前には、ビレルワークスNo.1ドライバー、あのマイク・ウイルソンだ。斜め前はハットレスワークスのデ・ブリン、横にはディノインターを駆るハーム・シュールマン、後にはコーネ、S.D.シルバ、アレン、フォースマンらが控える。どれをとっても一流だ。しかし、菅家はもう臆してはいなかった。
 「俺だって日本の菅家だ」
 決勝ヒートは18周で行なわれる。ポイント制(減点制)で3ヒートのうち上位2ヒートのポイント合計によって順位が決定する。同ポイントの場合は予選ヒートの結果である。ローリングが始まった。2周のローリング、最終コーナーをマイクを先頭に各車スピードを上げながらスタートラインへ向かう。緊張の一瞬だ。―ポルトガル国旗が高く振り上げられる。スタートだ!
 菅家は幾分遅れをとりながらも5番手で第1コーナーをクリアする。2周目、トップグループのコーネがマイクと接触。マイクはだい1コーナー外へ飛ばされてしまう。このゴタゴタに乗じ、菅家は3番手に上がる。第1ヒートは各ドライバーとも大事に行こうとしている様子がよく分かる。ペースも幾分遅いようだ。菅家とて同じことだ。このヒートを落としたらあとが大変だ。
 菅家をはさんで、シルバ、デ・ブリン、コーネがリヤバンパーとフロントバンパーを触れ合わさんばかりのテール・ツー・ノーズの闘いを演じ、見ている者をしびれさす。菅家は彼らに一歩もひけをとっていない。必死の目がバイザーの奥に見える。
 そしてこのヒート、コーネとシュールマンに抜かれたが、調子を落としてトップから滑り落ちたシルバを抜いて4番手でフィニッシュ。
 あとひと息だ。あと1ヒート頑張れば上位入賞も夢ではない。
 そして第2ヒート。
1周目5番手でクリアした菅家は2周、3周と快調な走行を見せていた。そして4周目、後方から追い上げてきたM.アレンが、菅家のインに強引にノーズを押し込んできた。菅家は思わずよける。アレンはそのまま突込み、前者のフォーマスマンと接触、フォースマンのリヤバンパーに乗り上げてしまった。菅家の直前で起きたアクシデントを、危うくブレーキングで逃れた菅家は、その場で11位にまで落ちてしまったのだ。アレンの強引さに憤慨すながらも、そんなことは言っちゃいられない。先を急がなければ……。
 トップを走っていたデ・ブリンがチェーンはずれで脱落したあと、菅家は3台を抜いて7位までポジションを回復した。
 そしてフィニッシュ。これで菅家の1ケタ入賞は決まった。そして、レースも優勝候補の一角に入れられていなかったオランダ人、ピーター・コーネが79年のワールドチャンピオンに決定した。
 菅家も喜ぶのはあとだ。一つでも順位を上げるために、ファイナルヒートに全力を注ぐ。
 最終ヒート。20周で闘われる。総てのドライバーがこのヒートにかけている。見ているものにとっては最高にエキサイティングなレースでもある。
 菅家は、もうエンジンの心配をすることはない。このヒートで壊れてもいいのだから。ポジションは4番手。第1、2ヒートのポイント順でファイナルのポジションが決定する仕組だ。ということは2ヒートを終えたところで菅家は4位に位置していたのである。
 目標は3位入賞だ!ポジションもよい!菅家は大きく深呼吸をし、気力を体いっぱいにみなぎらせる。さあ79年世界選手権最後のヒートのスタートだ!
 第1コーナーに真先に飛びこんだのはシュールマン。菅家は2番手だ。すぐ後にはブラジルの星S.D.シルバがせまる。菅家は3周までシルバの攻勢をおさえていたがついに抑えきれず、4周目には道を譲ってしまう。菅家は3番手だ!この位置を守り切れば3位入賞だ。
 5周、6周、7周、菅家は必死に頑張る。菅家も疲れていた。かつてこんなに疲れるレースを経験しただろうか。ちょっと間も息を抜けない。抜いたら負けだ。菅家の眼中にあるのは前を行くシュールマンだけだ。ゼッケン82だ……。
 しかし、10周目、菅家は、それまで見ようともしなかった周回数の掲示に目をやった。
 「まだ10周か―」
 菅家のペースがガクと落ちたのはこの周からだ。張りつめていた糸がプツッと切れたように……。菅家は非常に疲れていたのだ。それがこの周回数を見たとたんにドッと出てしまった。日本での菅家だったら絶対あり得ないことだ。レースはそれほど激しかったのである。
 それでも菅家は頑張った。17周、18周、あと2周だ―。
 後にはウイルソンとフォースマンが……。頑張れ菅家、頑張れニッポン!ピットから“go”のサインが出っぱなしだ。しかし菅家の頑張りもここまでだった。最終コーナーへ続くスプーンカーブでウイルソンとフォースマンに一気にパスされてしまったのである。そしてフィニッシュは5番手。


 ‘79カート世界選手権ランキング5位。これが日本の菅家安智に与えられた位置だ。一体誰がこの成績を想像しただろうか……。ポルトガルの税関でカートをストップさせられ右往左往したジャパニーズドライバーが5位となったのである。
 結果発表が遅く、表彰式は夜の10時過ぎからエストリル市の大公会堂で始められた。菅家は疲れと満足感とで、心地よい眠りにおそわれていた。「SUGAYA」の名が高らかに読み上げられる。拍手を受けて菅家は表彰台へ……。
 「長い1週間だった」
 菅家はホッとため息をついた……。(中島保徳記)

多くの観衆が見守る中、決勝を待つ菅家













































































デ・ブリン、シルバ、コーネ、菅家、シュールマン











































































































15番S.D.シルバ(アイルトン・セナ)
















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